プチ・トリアノンと王妃の村里
2007/05/07 (Mon) 22:24
フランス大統領選挙は、やはりサルコジ氏の勝利でしたね。
でも、ロワイヤル氏も健闘したと思います。
サルコジ氏は、
「国民の勤労意欲を高める。」
と言っているそうですが、まったくその言葉に期待したいです。
多くの国民に働く意欲を感じられないような国では
国力が衰退するばかりだと思うのです。
さて・・・
ベルサイユ宮殿での、しきたりに縛られた生活を嫌って
マリー・アントワネットが移り住んだのがこの
「プチ・トリアノン。」
トリアノンとは、もとはこの地にあった小さな村の名前だそうです。
ルイ15世が、天然痘を発症したのもここでした。
マリー・アントワネットの一番有名な肖像画は、
一番愛した場所「プチ・トリアノン」にあります。
音楽の部屋。
マリー・アントワネットはハープが好きでした。
(これを本人が使用したかは不明です。)
入ってみると、部屋数も少なく小さい館です。
国王のルイ16世でさえも、王妃の許可なくこの館には
入れなかったとか。
庭はとても広大です。
展望殿と洞窟。
革命を知らされたのは、このあたりを散歩中だったとされています。
そして、大湖と王妃の村里。
ノルマンディー風の藁葺き屋根の質素な家。
その周囲に風車小屋、納屋や搾乳場を設置。
エキストラの農民を入れて実際に農作業もさせ、
収穫したチーズや牛乳は、プチ・トリアノンの食卓に昇ったそう。
お天気は悪かったけど、
とってものどかで優雅な農村風景でした。
一見質素な暮らしに見えますが、
実は莫大な税金がつぎ込まれ、飢餓にあえぐ国民からの
非難が集中しました。
牧場にはにわとりや
羊が放し飼いになています。
ぶどう畑もありました。
羊が角を「カツーンカツーン」とぶつけあってけんかをしていました。
愛の神殿。
愛の神殿の中のキューピットの像。
ここはマリー・アントワネットの故郷、
オーストリアの農村に似ているそうです。
14歳でフランスに嫁いで以来、母親に会うこともなく
故郷の土も一度も踏まず、ひとり息苦しいフランス宮廷で過ごした
マリー・アントワネット。
たぶん、寂しかったのでしょうね・・・。
でも、ロワイヤル氏も健闘したと思います。
サルコジ氏は、
「国民の勤労意欲を高める。」
と言っているそうですが、まったくその言葉に期待したいです。
多くの国民に働く意欲を感じられないような国では
国力が衰退するばかりだと思うのです。
さて・・・
ベルサイユ宮殿での、しきたりに縛られた生活を嫌って
マリー・アントワネットが移り住んだのがこの
「プチ・トリアノン。」
トリアノンとは、もとはこの地にあった小さな村の名前だそうです。
ルイ15世が、天然痘を発症したのもここでした。
マリー・アントワネットの一番有名な肖像画は、
一番愛した場所「プチ・トリアノン」にあります。
音楽の部屋。
マリー・アントワネットはハープが好きでした。
(これを本人が使用したかは不明です。)
入ってみると、部屋数も少なく小さい館です。
国王のルイ16世でさえも、王妃の許可なくこの館には
入れなかったとか。
庭はとても広大です。
展望殿と洞窟。
革命を知らされたのは、このあたりを散歩中だったとされています。
そして、大湖と王妃の村里。
ノルマンディー風の藁葺き屋根の質素な家。
その周囲に風車小屋、納屋や搾乳場を設置。
エキストラの農民を入れて実際に農作業もさせ、
収穫したチーズや牛乳は、プチ・トリアノンの食卓に昇ったそう。
お天気は悪かったけど、
とってものどかで優雅な農村風景でした。
一見質素な暮らしに見えますが、
実は莫大な税金がつぎ込まれ、飢餓にあえぐ国民からの
非難が集中しました。
牧場にはにわとりや
羊が放し飼いになています。
ぶどう畑もありました。
羊が角を「カツーンカツーン」とぶつけあってけんかをしていました。
愛の神殿。
愛の神殿の中のキューピットの像。
ここはマリー・アントワネットの故郷、
オーストリアの農村に似ているそうです。
14歳でフランスに嫁いで以来、母親に会うこともなく
故郷の土も一度も踏まず、ひとり息苦しいフランス宮廷で過ごした
マリー・アントワネット。
たぶん、寂しかったのでしょうね・・・。
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