2017-06

« 123456789101112131415161718192021222324252627282930»
entry_header

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
entry_header

ベルサイユ宮殿最後の日

1789年7月14日にバスティーユ牢獄を陥落させたパリ市民ですが、
食糧難は変わらず怒ったパリの女たちが10月5日、
パリからベルサイユまで6時間の道のりを行進します。
その数は5000人とも6000人とも。
20071103094427.jpg

そして、ベルサイユ宮殿の正面、大理石の内庭になだれ込みます。
以前はここにルイ14世の騎馬像があったのですが、
現在は取り払われ、石畳の修復が行われています。
もともとこの像はなかったらしく、
本来の姿に戻そうということらしい。
20071103094626.jpg

そこは王の寝室の正面。
そして、ここのバルコニーに立ったマリー・アントワネットが
あまりにも優雅にお辞儀をしたため、
「国王、万歳!王妃、万歳!」
の声があがったといいます。
20071103094601.jpg

中から見たバルコニー。
案外狭い。
民衆との距離も近そう。
鍵がかかっていてバルコニーには出られませんでしたが、
ここがベルばらに出てくるあの場面か・・・
と思うと感慨深かったです。
ちなみにこの部屋は、まっずぐにパリに向いているそうです。
20071103094614.jpg

この日はこれでおさまりましたが、
翌日、とうとう群集は宮殿内になだれ込みます。
自分の寝室で眠っていたマリー・アントワネットは
秘密の通路を通って国王の寝室へ逃げようとしますが、
なかなかドアが開かない、
というシーンがベルばらにもありますね。
20071103094925.jpg

それがこのドアです。
寝室は最近の映画「マリー・アントワネット」にも
出てきていました。
今では、この部屋はこの胸像が見守っています。
20071103094936.jpg

20071103094946.jpg

そしてこの日、国王一家は民衆に連れられてパリへ向かい、
永遠にベルサイユ宮殿に別れを告げるのでした。
スポンサーサイト
entry_header

ルイ17世とサント・マルグリット教会

王太子ルイ・シャルルは、父のルイ16世が処刑された後、
反革命派によって新国王に指名され、
ルイ17世と呼ばれますが本人は知る由もありません。
その後、母マリー・アントワネットと
引き離され、靴屋のシモン夫妻に預けられます。
でもその扱いはひどかったようです。
その後、再びタンプルの塔に幽閉され、
1795年、病死してしまいました。
そのときわずか10歳。
そしてここ、11区にあるサント・マルグリット教会に埋葬されます。
20070922205850.jpg

それにしても不思議なのは、つい最近まで仮にもルイ17世と
呼ばれた人物が埋葬されていたにしてはこの教会が質素すぎること。
あまり資金がない教会のように見えました。
標識が出てなければ、「ここ?」と思うような感じ。
タンプルの塔からさほど近いわけでもなく、
もっと近くに他の教会もあるのに。
それに、王政復古でフランスに舞い戻り、
王太子妃として十数年も過ごした姉マリー・テレーズが
父と母が埋葬されていた場所には立派な贖罪の礼拝堂を建てたのに、
弟についてはなにもしなかったのかと不思議です。
亡くなったのは替え玉で、
ルイ17世は逃亡して生きている、未だにという説も根強く残っているとか。
しかし、数年前にDNA鑑定で、マリー・アントワネットの子供であると
認定され、王家の霊廟であるサン・ドニ大聖堂
その心臓が埋葬されます。
20070922205926.jpg

外にある標識。
20070922210012.jpg

カルナバレ博物館のルイ17世の肖像画。
20070922205823.jpg

マリー・アントワネットと引き離されるときの絵。
20070922205907.jpg

教会の中に像とかお墓とかないか探したけど見つかりません。
標示もないし。
寂しすぎるなあと思ってしまいました。
entry_header

タンプルの塔とルイ16世一家

パリの3区にあるタンプルの塔は、
13世紀のフランスで国王をしのぐ金持ちと言われていた
「テンプル騎士団(タンプル騎士団)」
の本拠地でした。
ルイ16世一家が、チュイルリー宮殿のあとに幽閉されたのがここです。
その際は、外が見えないようにすべての窓を布で覆っていたそう。
国王一家が一時期住んでいたことで、
王党派の拠点になることを嫌ったナポレオンが取り壊してしまい、
今では当時を思わせるものはなにもありません。
20070921231943.jpg

敷地は、現在は公園と3区の区役所になっています。
訪れたのは12月でしたが暖かく、
読書をしたりランチを食べたりする人などで、
のどかな雰囲気でした。
20070921232019.jpg

この標識だけが、唯一ここにタンプルの塔があったという目印です。
20070921232039.jpg

これは、カルナバレ博物館にある「タンプルの塔」の絵です。
狭くて暗い雰囲気ですね。
ただ、王位を奪われた国王一家には、
面倒な儀式などもなく、家族で過ごせたわずかな幸せな時間だったようです。
20070921231850.jpg

カルナバレ博物館には、タンプルの塔の内部の再現コーナーがあり、
ビリヤードやカードなどが展示してあります。
20070921232128.jpg

20070921232142.jpg

20070921232232.jpg

マリー・アントワネットの肖像画。
華やかな頃の肖像画と比べるとかなり地味ですが、
気品は失われてないですね。
20070921231903.jpg

ここがルイ16世一家が一緒に暮らした最後の場所となりました。
このあと、それぞれが悲劇の運命に向かって
まっすぐ進むことになります。
その話はまた今度。
entry_header

マリー・アントワネットが最後に見た風景

梅雨に入って以来、まったく雨が降らず毎日いいお天気ですね。
もしかして梅雨明けかしら?
雨が降ったのはたった1日。
水が心配ですね。

ルイ16世やマリー・アントワネットをはじめとする
2000名あまりの人が、革命の際コンコルド広場で処刑されました。

20070619100748.jpg

今では美しいこの広場も、当時は血なまぐさい雰囲気と怒号で
いっぱいだったらしいです。
20070619100631.jpg

ナポレオンがエジプトから持ち帰った「オベリスク」の前には
「ルイ16世とマリー・アントワネットがここで処刑される」
というプレートがありますが、実際の場所はここではありません。
20070619100616.jpg

コンコルド広場には、広場を囲むように8人の女性像があります。
ルーアン・リール・ストラスブール・リヨン・
マルセイユ・ボルドー・ナント・ブレストなどの
地方都市を象徴しています。
写真はナントの像。
20070620165219.jpg

そして、ギロチンが置かれていたのはここ、
「ブレスト像」の前でした。
20070619095944.jpg

パリ随一の超高級ホテル「ホテル・ド・クリヨン」
の前のあたりです。
去年のサッカー、ワールドカップの決勝でフランスが敗れた翌日、
このバルコニーからジダンが手を振っていましたね。
20070619100019.jpg

パリを訪れたときに、マリー・アントワネットもこのホテルに
泊まったことがあるそう。
かつての絶大な権力のもと、宿泊した豪華なホテルの前で、
処刑の際何を思ったのでしょう。
20070619100047.jpg

このブレスト像の前に立ってみました。
もちろん、このオベリスクは当時ありません。
これがマリー・アントワネットが最後に見た空だと思うと
しばらく感慨に浸らずにはいられませんでした。
20070619100004.jpg

あまりにも民衆に憎まれていたため、
ギロチンにかけられる時に、上向きに寝かされたという説があるらしい。
真偽のほどはわかりませんが、
死刑執行人の記録には、
「マリー・アントワネットの首は空を見ていた。」
と書き残してあるそうなので、本当かもしれません。
でも、その最後の瞬間は
フランス最後の王妃にふさわしい、毅然としたものであったということです。
entry_header

麗しの「オスカルロングマスカラ」

20070521204237.jpg

こんなものを見つけました。
-麗しの「オスカルマスカラ」-
   長く艶やかに意思を秘めた瞳

この説明書きを読むととてもおもしろい。

「真実の愛を貫くため。憂いの艶やかロング。」

「オスカルマスカラ」3つの秘密
限りなく長く
果てしなく深く
密かに香るオスカルの香り

このマスカラは香りもするらしくて、
「透明感のある爽やかなクリスタルローズの香り。
 メイクをしながらオスカル気分に。」

そして、
「艶黒のオスカルブラック」が瞳とのコントラストを
 強めて神秘的な眼差しに。」

オスカルブラックってどんなんかしら~?
明日からはこれをつけて、オスカル気分に浸ろうかな。
ちょうど今、オスカルみたいな髪型だし。
明日はすっかりオスカルよ。

このシリーズには「マリー・アントワネット」もあります。
今度、どんなフレーズだか見て来ますね。
それにしても、いまだ衰えぬ「ベルばら」人気には
感嘆してしまいます。

entry_header

プチ・トリアノンと王妃の村里

フランス大統領選挙は、やはりサルコジ氏の勝利でしたね。
でも、ロワイヤル氏も健闘したと思います。
サルコジ氏は、
「国民の勤労意欲を高める。」
と言っているそうですが、まったくその言葉に期待したいです。
多くの国民に働く意欲を感じられないような国では
国力が衰退するばかりだと思うのです。

さて・・・
ベルサイユ宮殿での、しきたりに縛られた生活を嫌って
マリー・アントワネットが移り住んだのがこの
「プチ・トリアノン。」
トリアノンとは、もとはこの地にあった小さな村の名前だそうです。
ルイ15世が、天然痘を発症したのもここでした。
20070507220534.jpg

マリー・アントワネットの一番有名な肖像画は、
20070507214524.jpg

一番愛した場所「プチ・トリアノン」にあります。
20070507214535.jpg

音楽の部屋。
マリー・アントワネットはハープが好きでした。
(これを本人が使用したかは不明です。)
入ってみると、部屋数も少なく小さい館です。
国王のルイ16世でさえも、王妃の許可なくこの館には
入れなかったとか。
20070507214547.jpg

庭はとても広大です。
展望殿と洞窟。
革命を知らされたのは、このあたりを散歩中だったとされています。
20070507214559.jpg

そして、大湖と王妃の村里。
ノルマンディー風の藁葺き屋根の質素な家。
20070507214658.jpg

その周囲に風車小屋、納屋や搾乳場を設置。
エキストラの農民を入れて実際に農作業もさせ、
収穫したチーズや牛乳は、プチ・トリアノンの食卓に昇ったそう。
20070507214620.jpg

お天気は悪かったけど、
とってものどかで優雅な農村風景でした。
一見質素な暮らしに見えますが、
実は莫大な税金がつぎ込まれ、飢餓にあえぐ国民からの
非難が集中しました。
20070507214610.jpg

牧場にはにわとりや
20070507214635.jpg

羊が放し飼いになています。
20070507214646.jpg

ぶどう畑もありました。
20070507214708.jpg

羊が角を「カツーンカツーン」とぶつけあってけんかをしていました。
20070507220549.jpg

愛の神殿。
20070507214718.jpg

愛の神殿の中のキューピットの像。
20070507214459.jpg

ここはマリー・アントワネットの故郷、
オーストリアの農村に似ているそうです。
14歳でフランスに嫁いで以来、母親に会うこともなく
故郷の土も一度も踏まず、ひとり息苦しいフランス宮廷で過ごした
マリー・アントワネット。
たぶん、寂しかったのでしょうね・・・。

side menu

side_header

princess

プロフィール

ローズ・マリー

Author:ローズ・マリー
2005年4月から2007年3月までパリに在住。
今年4月には主人もモスクワ単身赴任から帰国して、5年ぶりに5人と1匹の生活をスタート。
パリにいた期間より日本に帰ってからの時間のほうが長くなってしまいました。でも、パリでの思い出は今も胸の中で生き続けています。

FC2カウンター

FC2ブログランキング

ブログランキングに参加中。

FC2Blog Ranking

最近の記事

リンク

月別アーカイブ

全記事(数)表示

全タイトルを表示

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

MATERIAL

【背景、記事テーブル素材】
レースの壁紙
レースの壁紙 様

【素材の加工】
FC2blogの着せ替えブログ

Powered By FC2 blog

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。